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もう一度、君は愛せるか テレスティーナさんに捧げるレールガン考

最終回の感想はすでに書いたけれど、まだおさまりません。テレスティーナさん好きすぎる。
そう思いながらいろんなブログを読んでいたら、節穴からこぼれ落ちた色々なことに気づかされて、またまた書きたくなってしまいました。
というわけで、いろいろなブログの最終回への記事を参考に『とある科学の超電磁砲』を振り返ってみたいと思います。

(すみません。また文章がくどくて、すごく長いです)


メルクマールさん

学園都市の暗部が、これまでもチラチラと描かれていましたが、ついにテレスティーナがぶっちゃけました。学園都市は実験動物の飼育場で、学生は家畜にすぎないと。

でもそんなことは、美琴はずっと前から悩んでいて、すでに答えを出していたのでしょう。まるで動揺せずに、「学園都市はね、私達が私達でいられる最高の居場所なの」 と言ってのけました。

実際のところ、普通の学校だって、”社会の歯車として働くためのパーツの製造工場”と言ってしまえばそれまでです。”一人一人の自己実現”というタテマエと、”全体の一部として役に立たせる”というホンネは常に表裏一体。会社なんかもそうですね。

だからといってクサるか、あるいはそのシステムの中で自分らしさを伸ばそうとするかは、その人次第です。気の持ちよう、とも言えます。


人が社会に何らかの問題を見出した時、選択肢はそう多くはありません。
その社会を構成する者ごと破壊する。
細かいことには目をつぶり、自分自身を社会に合わせて生きる。

クリスティーナさんは前者を選んだわけではないと思います。むしろ自分自身の価値を見失わないために「レベル6を生み出すための学園都市」に過剰適応したからこそ、「学園都市の存在意義=自分の存在意義」を達成するために行動したのだと思います。

このあたりのことについて、「所詮、すべては戯言なんだよ」のヨークさん蒼碧白闇さんの記事を受けて、

学園都市を守りたい美琴たちと、学園都市ごと消滅させたいテレスティーナ。


とお書きになってましたが、そこはちょっと違うかなと思いました。


一方、美琴の「学園都市はね、私達が私達でいられる最高の居場所なの」という言葉は、一面で美琴にとっての現実ではあるのでしょうが、私には自己欺瞞にしか聞こえませんでした。
たしかに”一人一人の自己実現”というタテマエと、”全体の一部として役に立たせる”というホンネは常に表裏一体ですが、それはその社会の中で人間として扱われている限り、という前提がつきます。
実験動物として集められた能力者は、学園都市にいる限り、いつ実験動物としてすべてを奪われるかわかりません。
今までは暴走したマッドサイエンティスト個人が引き起こした事件という体裁がとられていましたが、その背後に学園都市中枢の意思が働いていたことは、アンチスキルの行動が制限されていることからも明らかです。
それを知っていて、学園都市に対して何をするわけでもなく「私達が私達でいられる最高の居場所なの」とは、あきれてものも言えません。
まあ、この自己欺瞞は手痛いしっぺ返し「御坂妹」事件となって自分に返ってくるわけですが。

メルクマールさんの記事に対してヨークさんは

環境が悪いから、と人のせいには出来ない。

社会全体に憎しみを持ってしまうか、個人の感情論になるか、
それは権威を持つ人の苦悩でもあり、権利を得ることによる慢心でもある。

そこから、ピラミッド社会に対して、どう考え、何を楽しみにしていくか、
歯車の一部としてではなく、それぞれの生きがいを見つけ出して欲しいと思った。


とお書きになりました。しかし、環境が悪いから、と人のせいにすることと、環境が悪いといって環境を変えるべく努力することは違います。
どんなに政情不安定な環境でも、またどんな圧政下でも、そこに適応して楽しみを見出すことは可能でしょう。しかし、それでいいのでしょうか。
学園都市は単なるピラミッド社会ではありません。実験動物として生かされながら、そこにそれぞれの生きがいを見つけ出して生きていくのは、ただの奴隷根性だと思います。

そして、その社会を構成する者ごと破壊する、細かいことには目をつぶり自分自身を社会に合わせて生きる、のほかにもう一つ選択肢があります。
それは社会を変えることです。
レベル6を生み出すためだけに能力者を飼育する学園都市はまさにディストピアです。この事実に抗う物語が予感できなかったラストはちょっと物足りなかった気もしますが、それはインデックスのほうで語られるべきなのかもしれません。

次に、この記事を書こうと思ったきっかけ、おパゲーヌスさんの『妄想詩人の手記』から。

学園都市を実験場、生徒たちをモルモットと呼ぶ彼女の心には、ずっと、自分自身がモルモットにされたことへの悲しさと悔しさが根付いていたというのを、美琴が見事に喝破してくれた。おかげで、敵としてすごく魅力的になったと思います。とにかく暴れまわって人間に被害を及ぼすのだけど、その根底には自身の不幸を呪い、人間の命さえも弄ぶ科学に対する怨念が渦巻いている、悲哀に満ちた敵であった。まるでジャミラみたいだ。


私は、テレスティーナさんを“一本ねじの飛んだ狂気の体現者”としてしか見ていませんでした。アバンのシーンは余計な付け足しで、むしろテレスティーナが木原を焚きつけたのだと思おうとしていました。

それは私がそういうキャラクターを好んでいるからで、理想の悪役像をテレスティーナさんに押しつけていたにすぎなかったと気付かされました。

ことさらに美琴たちを馬鹿にするのも、ひどい悪態をつくのも、すべて、正義の味方だとか社会だとかが自分を救ってくれなかったことに対する、恨みであり、妬みだ。

そしてその姿はそのまま、支え合う友や仲間を持つこと無く、すべて自分の意志と才能によって解決できると信じた人間の、哀れな末路であった。この点にこそ、美琴たちとテレスティーナとの最も重要な対比が、描かれている。テレスティーナは、ただ分かりやすい悪を体現していたのではない。その信条や行動原理を、美琴たちの姿(=視聴者へのメッセージ)と対比させて際立たせる、重要なアンチテーゼであったのだ。


この作品が持つ構図をここまで見事に明らかにされてしまっては、テレスティーナさんが信じたものに裏切られた犠牲者だということを受けいらざるを得ません。理想の悪役からは少し遠のいてしまいましたが、テレスティーナさんが魅力的であることに変わりはありません。

ですが、ひとつだけ異論を挟ませてください。
クリスティーナさんは、本当に「すべて自分の意志と才能によって解決できると信じ」ていたのでしょうか。

裏切られた犠牲者としてのクリスティーナさんを受け入れた今の私には、他に頼るものもなく、すべて自分の意志と才能によって解決するしかなかった者の悲しみを、彼女に見ずには居られません。

おそらくもっとも敬愛していたであろう木原に裏切られたテレスティーナさんは、一体誰を信じることができたでしょう。
自分を実験材料として木原に提供したかもしれない両親?
いつも一緒にいてくれる親友?(木原だって裏切る直前まではだれより信頼できる人だと思っていたのに“親友”が裏切らないってどうして言えるの?)
一緒に喜んだり悲しんだりしてくれてるように見える目の前に人物が、内心では自分を騙して喜んでいたりはしないという保証はどこにあるの!?

世界が敵になるって、一般に思われているよりずっと高い確率で起こることだと私は思います。そしてその形態のひとつが、テレスティーナさんに起こったことなんだと思います。

今、目の前にいる人が自分をだましていないか疑い、騙されていたときのための対策を整え、騙されていないと確信が持ててもなお、将来裏切られないための対策を立てながらでしか人とふれあえない人生。
それでも人生を諦めないなら、すべて自分の意志と才能によって解決しようとするしかないでしょう。たとえその時、美琴が、黒子が、初春が、佐天さんが傍にいたとしても、それをどうにかすることは無理です。

人工知能がフレーム問題を処理しきれずに停止するように、際限なく続く疑心暗鬼を処理しきれず「もういいや」と思い、それでもなお人生を投げる気にならなければ、どこかで「騙されたらその時、でいいや」と開き直って新たな人間関係を築くこともできるのでしょうけれど。そうでなければ“仲間の絆”を見せたところで「人生の痛みを知らないガキのたわごと」としか思えないでしょう。身柄拘束後、取り調べに非協力的というのもわかります。

世界から見捨てられたと思っていたレベルアッパー使用者のうち、心の傷が軽かった子供たちはもう一度世界と向き合うことができました。(グラビトンのような大規模テロ行為に走ったもののその後は描かれていません)
佐天さんのように、世界から無用物とされたと思い込んでなお、繋がっている人がいた人は世界のすべてが敵に見えることはありませんでした。

しかし、一度、世界のすべてに“自分への敵意”を幻視してしまったクリスティーナさんは、もう一度世界を信じ、愛することができるのでしょうか。
上条さんの右手でもこの幻想を砕くことは難しいでしょう。
世界が敵になるということはそれほど過酷なことなのです。
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tag : とある科学の超電磁砲 感想・考察・批評

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No title

面白い記事ですね。毎度毎度、独特の視点から鋭く作品に切り込んでいく姿勢には、脱帽です。

>他に頼るものもなく、すべて自分の意志と才能によって解決するしかなかった者の悲しみ

はるるさんは異論と仰っていますが、この点はまさに自分と意見を同じくする部分ですね。これが描かれたからこそ、(はるるさんの理想とは異なるようですが)見事に”キャラが立った”と、考えています。

アンチテーゼ云々というのは、あくまで美琴たち4人と木山の物語として今編を考えたときの、テレスティーナの役割という側面から書きました。一個のキャラクターとしての彼女の魅力というか悲哀は、はるるさんの仰るとおりだと思います。ただ惜しむらくは多くの視聴者(というかブロガー)が、テレスティーナを小物だとかなんだとか揶揄して、彼女のキャラが安直だと残念がっているので、こういう見方もできるんだというのを、分かりやすく提示しようとした結果、ああいう書き方になりました。分かりやすくなってない、というツッコミは無しの方向でお願いしたいですけれども^^

もしよろしければ、私を含めアニメブロガーが多く参加している掲示板にて、レールガンの賛否を議論しようと考えております。よろしければぜひご参加ください。
http://www1.atchs.jp/animeblog/

No title

>面白い記事ですね。毎度毎度、独特の視点から鋭く作品に切り込んでいく姿勢には、脱帽です。

ああっ、それはいつも私がおパゲーヌスさんに対して思っていることで、私なんかが言われてしまうと、テレてしまいます。
私も他のブロガーさんと同じことを思うことのほうが多いんですが、書く速度が遅く、書く時間の確保の関係もあってエントリーがだいぶ遅れるので、そんなブログを見に来られた方には多少なりとも毛色の違ったものをお目にかけたいと、ことさら違った部分をピックアップして書いているにすぎません。

>この点はまさに自分と意見を同じくする部分ですね。
ああ、文章の理解がなってなくてすみません。こんなところで節穴をしていたなんて・・・

掲示板は、じつは時々こっそり見させていただいておりました。お誘いいただいて感激です。
ぜひ、お邪魔させていただきたいと思います。

初めまして

興味深い記事でしたのでコメントさせて頂きます。レールガン最終回は一箇所を除いて概ね楽しめました。
その一箇所がテレスと美琴の問答です。

LvU事件の時から感じていましたが、美琴は学園都市のヒエラルキーを基本的に肯定していて使用者に努力を促す(ヒエラルキーに戻す)という解決策を取り、更に最上クラスである自分にプライドを持っています(上条さんへの対抗意識はこの裏返し)

つまり学園都市側に言わせれば能力があって自らの立場を肯定している「最適化した家畜」なのです。

それを今まで描いてこなかったので、無視するのかと思っていたので最後のテレスには「うわ、言っちゃったよこの人」と思いました。

「家畜としての生徒」は客観的な事実ですから。

それに対して佐天さんは「そんなの知ったことじゃない」と言い返しましたが、これが「家畜かもしれないが知ったことじゃない」のか「家畜だと思われていること自体が知ったことじゃない」のか判然としません。

また美琴は「自分を哀れんだら逆恨み出来るのよ」と言いましたが、テレスは哀れんでいるどころか(歪んでいるとはいえ)むしろ誇らしげで、逆恨みしているのではなく見下しています。
美琴的にはその原因を逆恨みだと思ったのかもしれませんが、その根拠は何処にもありません。そして学園都市の目的のみを考えれば、結果それが破壊されても構わないというテレスの言い分は全くおかしくありません。

そして美琴は「学園都市は最高の場所」と言います。
テレスの主張は「『お前らは』家畜」です。
そこへ「『この場所は』最高」と言い返しても意味が無いどころか自分を家畜化する場所を肯定するという意味に繋がりかねません。

思うに佐天さんの台詞は「見下してるから足元掬われるんですよ!」みたいなのを入れて、
美琴は「あんたらからすれば家畜かなんか知らないけど、私は私、御坂美琴よ!」で「1人では出来ない事も、みんなで(略)それがアタシの、アタシ達の……」で撃てば『他人からは家畜かもしれないけど、私達は私達を規定する』と自己現実のテーマにも繋がる気がします。

また学園都市は楽しい、だと時系列の直後に控える(私は未見ですが)美琴クローン虐殺実験と後味の悪い対比になりますが、家畜化する他人の観点より自分の視点や仲間を押し出せば、虐殺実験を行う一方通行を打破するところまで繋がるんじゃないかと。


大変長々と書いて申し訳ありませんでした。

No title

深霞さん
コメントありがとうございます。そしてお返事が遅くてごめんなさい。

美琴についてはその後もいろいろと考えた結果、あっさり意見が反転してしまいました(汗
新アニメとブログを考える掲示板のスレにも書いたんですが、その部分を転載します。
-------------------------------
実はテレスティーナさんと対決することで、学園都市に対してNo!と言っているんですよね。

だったらなぜ「学園都市は~最高の居場所なの。」と言ったのかという問題があるわけですが。
これを私は“奴隷根性”などと言っていましたが、その後に続く「あたしの、あたしだけの・・・」が、あたしだけの現実=パーソナルリアリティを指すのならば、別の解釈が成り立ちます。(最近気づいた)

パーソナルリアリティ理論は、「観測されていない事象は、観測されるまで確定されないので、思い込みで改変できる」といったようなものと私は理解しています。(インデックスアニメでのチョコか飴が入っている箱のたとえでの説明から)
とすると、美琴の台詞は「私のパーソナルリアリティで学園都市を最高の居場所に変えてやる」という宣言だという逆の解釈できます。
この解釈が正しければ、作劇上、美琴が最後に対決すべきは、学園都市の価値観をそのまま人の姿にしたテレスティーナさんでなければならなかった、と言えるのではないでしょうか。
--------------------
インデックスアニメを前提にした論ですので、レールガン単体への解釈としては、どうかとも思いますが、いかがでしょうか。

拝見致しました

私も「私だけの…」という台詞に繋がるのはパーソナルリアリティであり、主観による客観からの意味改変がポイントだとは思うのですね。

ただテレス女史は学園都市の「人」を実験動物と称し、美琴は学園都市という「場所」の価値を称揚してから「みんな」に移っているので、やや収まりが悪い印象があるのですよ。

もちろん色々解釈すれば、場所はそこに暮らす人に通じますし「学園都市」でも成立出来なくはないですけれどもね(笑)

ただ美琴も「人」について
「あんたは実験動物だと思うかもしれないが私たち自身はそう思わない」
更に
「一人では他者の認識(実験動物)に屈してしまう事があるかもしれないが、みんなで力を合わせれば打開出来る、それが私の私たちの……(自己現実)」
というような意味合いの返しで自己現実(パーソナルリアリティ)を確立すればテレスに対しての明確なアンチテーゼになるし、今後一方通行が立ちふさがったとしても打破する予兆をも含めると思ったのです。

まぁ木山戦の時なんかは「私は何が何でも子供たちを助けるんだ!」という常識外の決意に対して「人に迷惑掛けるな」という一般論レベルで対抗してしまったので、それに比べれば良いのかもしれません。
正直申しましてどうもこの作品、シリアスパートの舌戦や決めゼリフには違和感を覚えてしまう部分が幾つかありました。

No title

>シリアスパートの舌戦や決めゼリフには違和感を覚えてしまう部分が幾つかありました。

私もそう思います。その決め台詞の違和感はなぜ発生しているのか?
ここでスタッフの意識がぶれているからだとか、そもそも何にも考えていないんじゃとかいう思いが頭をもたげてくるのですが、そこは無理やり抑え込んで、とにかく描かれたことは全てスタッフの計算通りのものである、という意識で違和感について考えた結果、私がたどりついたのが「美琴を含め、登場人物は全員が学園都市の影響を受けて歪んでいる」という解釈です。

美琴は、テレスティーナさんや木原(祖父)のやったような目に見えて非人道的な実験は否定しますが、学園都市のピラミッド構造そのものは、疑問視していないとおもいます。佐天さんのことも「無能力者“だけど”頑張っているいい人」(でも普通の無能力者はクズ。だからと言ってモルモットにしていいわけじゃないけれど)だと考えているのではないでしょうか。

そんな登場人物たちが、その歪んだ価値観(ただしテレスティーナさんや木原(祖父)ほどではない)に基づいて決め台詞を言えば、やはりその内容も歪んだものになるのではないでしょうか。
(第一話の、黒子が銀行強盗に言った説教っぽい決め台詞なんて、今見るとすごいです)

かと言って、美琴の“木原的な価値観=学園都市の真実の価値観”への対決の意思表示は嘘ではないと思います。
ただ、美琴もまだ中学生で、直接面識のない人間まで含めた「みんな」なんて、まだまだ思考の及ぶところではないでしょうし、自分の内側にある歪み・矛盾に気づいて悩むのも、まだこれからなのではないでしょうか。

>ここでスタッフの意識がぶれているからだとか、そもそも何にも考えていないんじゃとかいう思いが頭をもたげてくるのですが、そこは無理やり抑え込んで、とにかく描かれたことは全てスタッフの計算通りのものである

なるほど、そういう姿勢は大切かもですね(笑)

私は黒子の場合、一話より過去編(初春との約束)の時に自分のみならず人質の危険すら省みない「カッコ良い姿」がかなりアレでした。



スタッフの責任にしないと、必然そう言った解釈に流れるかもしれません。

ただ評判悪いスキルアウト編のラストなんかは「学園都市でも人は想いを通い合わせられる」という台詞があったりして、これはある意味テレスを中心とする『学園都市の原理主義的価値観』から逸脱し得る事と、後に明確な形で上条さんに想いを寄せる予兆を表現出来ているんですよね。
だからこそ、この話では学園都市的価値観が根付いた人間として(最後に否定される為に)美琴は頑迷に描かれていたと推察しています。
この辺りは本編(実を言うと原作の一巻しか読んでませんが)に繋がる美琴の心理変化譚として読めば悪くないと思うのですけれども、一般的なファンには受けが悪いようで(笑)

そもそも人格者である筈が無いキャラなんですが、ファンにはそう(少なくとも可愛く分かりやすい正義キャラであることを)求められ、スタッフにもややそんな感じで解釈される部分が多かったような気もします。
それが違和感の一番大きい原因かなぁ。
……また後半スタッフ絡みのメタ解釈になってしまってすいません。
プロフィール

腐視穴はるる

Author:腐視穴はるる
百合もBLも男の娘もOKな腐った目と脳の持ち主です。
でも男女ものはあんまり・・・
ドロドロはカンベン(>_<;)
現代も、ファンタジーも、SFも、ロボも大好き!

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