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ダラーズは理想的市民社会の再現か? デュラララ!!「第11話 疾風怒濤」

竜ヶ峰ラスボス化?と思ったダラーズ集会シーンが高評価を受けていましたので、自分なりの解釈を書いてみたいと思います。
あ、原作未読です。
きっかけをくれたのは、おパゲーヌスさんの『妄想詩人の手記』でした。

重要なのは、彼がダラーズに何を期待しているか、という点だ。普通、誰かが意図して組織を作ろうとする場合、そのほとんどが、なにかの利益のため、すなわち金儲けや、悪だくみや、世界征服のためという動機が付随する。けれど帝人が組織に求めたのは、市民としての健全な公共意識である。ゴミ拾い、落書きの掃除、悪い人間の監視。それらは、民主主義の基盤である市民の義務を、極めて分かりやすく体現した具体例であり、しかしながら現代の民衆がほとんど顧みなくなった陳腐な道徳感情である。



竜ヶ峰はダラーズに自らの考える善性を求めました。ゴミ拾いや落書きの掃除は陳腐呼ばわりされることもあるけれど、たしかに重要な道徳感情です。
しかし、あのシーンを見る限りにおいて、ダラーズには市民としての健全な公共意識は、ありませんでした。

・「今、携帯のメールを見ていない奴が敵だ。攻撃をせず、ただ静かに見つめろ。」

この指令には、ふたつの重要な意味が込められている。ひとつは、社会への帰属意識や義務を放棄した人間は、まぎれもなく敵である、という宣言だ。帝人の、人間としてあるべき姿を説いた言葉を取るに足らない理想論だと切り捨てた矢霧波江。彼女を市民社会の敵として告発したのが、このメールのひとつの意義であった。

そしてもうひとつは、社会悪を監視せよ、というメッセージだ。敵に対して、腕力なり言葉なりを用いて暴力的に攻撃するのは、市民のあり方にそぐわない。そうではなく、悪を監視して、罪を裁き更生させることが、正しい市民社会の役割である。そのことを帝人は、端的に表現してみせたのだと言える。



この指令がもたらしたものは(竜ヶ峰が意図したかはともかく)2つあります。

ひとつは「自分たちと同調しないものは敵だ」という認識。
自分たちと同じ流儀で動かない者、違う価値観を持つ者、自分たちと同じ行動原理を持たない異質な人間を敵視せよ。
メールを見ていないという一点で敵と味方を分けたのは、物語としては“同報メールを受け取ったのはダラーズメンバー”という見分け方をとっただけのことです。しかし、これが象徴するものは、「同じミュージシャンが好きでなければ仲間じゃない、同じファッションを好まなければ仲間じゃない、同じことを考え同じように行動する者だけが仲間だ、という狭量な仲間意識を象徴するシーンに思えました。

もう一つは、一度敵だと断じた相手とは、一切コミュニケーションをとるな、という拒絶姿勢。
議論は当然、攻撃すらもせず、ひたすら敵視して排除せよ。

敵は敵だ。メンバーが敵だと言った以上それは敵以外の何物でもない。なぜなら我々は同じように考え、同じように行動する仲間だからだ。


正面切って避難することすらせず、ひたすら冷たい視線だけを飛ばす。そんなやりかたは市民社会どころか前近代から存在します。

村八分、です。

ムラの掟を破ったものを、同じような行動をしない者を、顔役が「あいつは仲間じゃない」といった相手をひたすら排除するだけ。

集会のシーンで集まったダラーズメンバーは、矢霧製薬の犯罪(?)を知りません。そんな情報を流したシーンはありませんでしたし、明確な証拠がない状況でそんなことはうかつに流せません。
そんな状況で「創始者が敵だと言ったから、自分の敵だ」という行動原理に無批判に従うダラーズメンバー。彼らに「もしも創始者が間違っていたら」「もしかすると間違っているのは自分かもしれない」という内省はありません。


市民というものは、社会を構成する主権者のことです。主権者とは自分で見て、考えて、自分の意思で行動できる民主主義社会の一員のことです。
ヴォルテールの名言に「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」というのがあります。
この言葉は表現の自由を表したものですが、異質なもの・マイノリティを飲み込んでこその民主主義でしょう。

しかし、現実には友人たちが「今度の新曲もよかったね」と言っているときに「私は好きじゃないな」とは言いにくい社会に、私たちは生きています。
マイノリティは、オタクだから、乱暴者だから、馬鹿だから、優等生だから、貧乏だから、金持ちだから、習慣や常識が違うからと排除されます。
そこにコミュニケーションはありません。なぜ乱暴を働くのかと相手を理解しようとする人は少ないです。そして、理解できなかったときにそれでも受けいれられる人はもっと少ない。
「やっぱオタクって気持ち悪りぃわ」「ホモとか信じらんねぇ」

竜ヶ峰は矢霧波江を市民社会の敵として告発したつもりでした。しかしそれは、ダラーズに集わぬものを排除せよ、ボスの指令に従わぬものは敵だ、という風に機能してしまいました。


「予定調和も、お約束も、ご都合主義も、無理やりなハッピーエンドだって大好きですよ!それを目指して何が悪いって言うんですか!」

手続きを端折るのが悪いって言います。
自分がやろうとしていることが本当に正しいか。相手は、本当に全否定して排除すべき存在なのか。そう思っているのは自分だけじゃないのか。他の人はどう考えるか。
民主主義的市民社会というのは、面倒くさいのです。その面倒くささを隠れ蓑にして、手続きに手間取っているふりをして何もしないのは理想的市民社会への敵対行為です。
しかし、それをすべて飛ばして自分の正義を貫こうとすることもまた、理想的市民社会への敵対行為です。

もし彼がデスノートを拾ったなら、彼は夜神月のようにキラになっていたでしょう。悪人がいなくなった「無理やりなハッピーエンド」を目指して。しかし彼の前にデスノートは落ちてきませんでした。代わりに、冗談で作ったチーム・ダラーズが彼の手元にはありました。

一度暴走したダラーズのコントロールを彼は取り戻したかのようです。
しかし、再度暴走し、ダラーズでなければ池袋の敵だ、と無言の圧力で君臨し、メンバーの正義を絶対のものとする大政翼賛会のようなものに変質する、その片鱗を見たような気がしてなりません。

そのとき、竜ヶ峰はコントロールを取り戻そうと奮戦するのでしょうか。それとも彼自身が自分の正義を信じて暴走するのでしょうか。
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tag : デュラララ! 感想・考察・批評

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Author:腐視穴はるる
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でも男女ものはあんまり・・・
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